ひとりごと

インナーチャイルドに触れる ~自分を構成する出来事について

ずっと一人でいるインナーチャイルドと向き合う

溜めまくってたナミダ

家にいるのに「家に帰りたくなる。」

たまにそんな気持ちに襲われる。

言われてみれば、1箇所しか思いつかない、

一人でいることの方が多かった、小中学校を過ごした家。

両親が好きだったという思い出と、

誰の庇護もなかったという思い出と、

夕方6時から夜中の1時過ぎまで一人で過ごさないといけなかったという思い出と、

その悲しみから逃げるべく感情を殺してただ1時を待つためだけに時間を過ごしたという思い出と、

両親のケンカの思い出と、

母親が出て行った思い出と、

父親がガンで入退院を繰り返し嫌いな叔母の家にたらい回しにされた想い出と、

父親がわたしに泣きごとを言うほど辛そうだった思い出と、

二人になってからは近づくことがなかった父親に、最期の日父の顔に触れて「ああ、こんなだったな」って父の質感を感じた想い出と、

こんなにこんなに、つらい思い出しかないのに、

わたしの家はあそこなんだなって思う。

とっくの昔に出ていった家、

父が亡くなってから、自分の家ではなくなった家、

わたしの家はどこなんだろう?

安心がない幼少期、守られなかった幼少期。

ずっと自分のことをずっと自分で守って来て、

ずっと体に力を入れて、なんにも考えないようにして夜を過ごした。

いくつもの夜。

時間が早く過ぎるようにただじっとガマンする事に、時間を使った。

丸まって寝た。

力を入れて過ごした。

「どうぞ早く時間が過ぎますように」

って、何度もお祈りした。

早く大人になって、自分のことを何でも自分でできるようになりたいってずっと思ってた。

そしたら早くから何でも自分でできる子どもになった。

「これ、どうするの?どうやったらいいの?やって!」

って言う普通のことすら、言えない。

こうやって書いてて、

「言えない」と「家ない」って一緒じゃん、って思った。

こんなに悲しいことだらけの子供時代だったのに、

ずっと「ぜんぜん平気」ってやって来た。

「かわいそうでしょー!」なんて笑い話にしてきた。

自分、気づいてよ。子供の頃のわたしは、ずっと泣いてるよ。

誰にもバレないように、誰にもわからないように、

誰もいないところで、ずっと泣いてるよ。

泣いてるところを誰にも見せない。

泣かない。

だって、抱きしめてよしよししてくれる人はいないから。

泣くだけつらい。

今やっと、感情のふたが開いて、

やっと素直に、涙が流せるようになった。

とどめておいたものが決壊したかのように、涙が止まらなくなる。

このナミダは、すごく大事で、

わたしが幼少期に感情や感覚と一緒に好きなことや得意なこと、

夢とか憧れとかそんな素直な気持ちも一緒に、

一人で過ごす余りの恐怖に、固く閉じてしまった場所に、

厚くて重くて冷たい大きな蓋をして、

全部一緒にしまい込んでいたものをまた手のひらの上に出せるように、

ゆっくり、昔に戻って、

素直に感情が出せるように、その蓋を開けるためのナミダ。

わたしがこの感覚をつかまえたら、

同じように、

昔の記憶を忘れるほどの悲しみの幼少期を過ごした人たちに、

才能たっぷりの本来の自分に出会える、

そんな癒やしを提供できるようになると思う。

子供の頃に、早く時間が過ぎることを願い過ぎたわたしは、

大人になった今でも、ぼーっとしているだけで、1日が終わる。

ただただ、人生の終わりに向かっているような過ごし方をしてしまう。

これが本来じゃない、楽しいこと、やりたいこと、たくさんしたい!

って思っても、

心はずっと、終焉へ急いでしまっている。

これをなんとかしたいって思ってる。

そのために、思いつくこと、思い出すこと、

考えられること、

全部全部、いっこいっこ、大事にする。

時間をムダに過ごしても、責めない。

だって、あのころの自分は、それが正常な精神で生きるための唯一のの方法だったから。

だから、今日も、泣く。

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