過去の問題を、今なお持ち続けていることが問題! 〜ゲシュタルト療法

過去の問題が原因なのは同じだけど、それをどう捉えるか

ゲシュタルト療法は、過去の問題を癒すのではなくて、過去の【未解決の問題】が事あるごとに今出てきてしまって、それに反応してしまっている、という考え方をします。

そして、その出てきた【未解決の問題】のせいで、本来のしあわせの方向だったり、本来の「わたしらしさ」的なものを出せないでしまってて、誤った考え方を選択してしまってる、というのが生きづらさの元!っていうことになります。

誤った選択のせいで、相手の顔色をうかがったり、「この人はわたしのことが嫌いなんだろうな」とか、悲しかったりつらかった親子関係を、自分の人間関係のなかで再現してしまっていたりします。

よくない親子関係が原因となっている場合

わたしの場合、まさに母娘関係がよろしくなかったのですが、自分ではそのことに気づいてなかったんです。心理学を学んでてもです。

それはなぜかというと、初めに学んだ学校が、「愛と赦しと癒し」をメインに扱っていたからなのです。そしてこれはこれで正解でもあります。どんなにつらいことがあっても、必ず「愛」があり、そこを観るということは、すごーい大切だったりします。

でもしかし、どんなにそこに愛があると言われて、赦して癒してってやってても、なかなかうまくいかなかったんですよ。

でも、なんだか進んでる人たちもたくさんいるんです。

なにがちがうの???って別の学校で学んだら、結局「愛着問題」だったのです。小さな頃に両親との関係でどのくらい傷ついたか、ということもそうですが、「どんな家庭環境だったのか」がすごく影響してきます。

そして、結構ヘビーな家庭環境だった場合、普通の人と同じように生きていても、全く井戸の底からはい出せない、なんだかんだ言っても、他の普通の人とはなんだか違うような感じをずっと持ったまま生きてしまいます。

そして、人生がうまくいかないのは、わたしがいけないのかな、とか、もう死なないと解決しないかな、とか、人生あきらめようかな、とか思ったりするのです。そしてわたしはなんでわたしは他の人たちみたいに、前に進んでいけないんだろう・・・ってずっと思ってました。

生きづらさをゲシュタルト療法でみてみる

仕事・パートナーシップ・人間関係、悲しかったりつらかったり、何かうまくいかないなーってことがあったとき、その時に起こっている「感情」や「身体」にアプローチします。

アプローチの仕方は、「聞いてみる」ということ。

例えば、わたしはすぐ「ひきこもり」をしてしまうのです。受動的攻撃という言い方をしたりします。「あなたのせいでわたしは傷ついている」ということを、ひきこもりという行動で困らせることで攻撃しているということです。

やらなきゃいけな・終わらせないといけない仕事を、わざとのんびりして納期に間に合わないようにする、という意地悪なやり方も、受動的攻撃の一つです。

では、この「ひきこもり」をしてしまうとき、わたしの心の中で何が起こっているのか、ということですが、しっかりと観てみるのに、「エンプティチェアー」というセラピー手法を用います。これはちょっとコンステレーションにも似てるところがあるんですが、空の椅子に(座布団や場所でも可)、その嫌な感情とか状況が発生するときの、「相手」や「自分」を座らせます。そしてその相手の隣に座って、まず自分の身体や心に、何が発生しているのかを観ます。

わたしの場合、だいたい静かなる、すごく静かなる怒りとヒステリーが発生しています。そしてその怒りやヒステリーは、表に出してはいけないと思ってるんですね。なぜなら家が壊れるからです。(笑)

というのは冗談で、この「怒り」を堪えることで、幼少期のわたしは毎日一歩ずつ大人になっていけたからなのです。

ガマンをする = 大人になる っていう方程式を作ってしまっていたわけです。

わたしにとって、「大人になる」ということは、ものすごく大事なことでした。なぜなら、親の庇護のもと生活をしなくては死活問題である小学校低学年の時代に、わたしは一人家に残され、夜の6時間以上をたった一人で過ごさなければならなかったからです。食事も一人、お風呂も一人、寝るのも一人。

さみしかったし、怖かった。なんにもする気が起きなくて、お母さんが帰って来ることだけを楽しみに、息も殺して、身体にぎゅっと力を込めて、ただただ夜を乗り越えた。

この状況を脱出するには、早く大人になることしかなかったんですよね。大人になれば、怖さもさみしさも乗り越えられるってずっと思ってました。何もせず、ただ時間が過ぎて母親が帰って来るのだけを待つ。

でもですよ、せっかく帰ってきた母親は、「おりこうさんで待っててくれてありがとうね」なーんてことは一切言わず、全くわたしのことを褒めてもくれないですし、ベロンベロンのアル中かよというった様相で、わたしの欲しかった愛は、ずっとくれないままでした。

挙句、「あんたはダメね」と否定されることが多かったので(褒められたことはほどんどなく「おかあさんがあんたの年の頃は、もっと上手だった、もっとかわいかった」とマウントされることばかりだった)、何をやっても、どんなにがんばっても、「わたしはダメなんだな」っていう気持ちがずーっと残ったまま、毎日を過ごす、という状態だったんです。

それでも、母親ががんばってたことは知ってましたし、父親(相当の遊び人で借金多し)もそうこうしている間にガンになってしまい、入院生活が始まり、挙句離婚するという。。まあまあ、わたしのことは、わたしも含め全てほったらかしな環境だったわけです。でも、状況が状況なので、ガマンするしかないよね。って、いろんな感情をぜーんぶ蓋して閉じ込めていたままでした。

これらの悲しみやさみしさ、つらさが、事あるごとに日常生活に出てきてしまいます。人間関係やパートナーシップにおいては顕著です。

エンプティチェアー

ふたつの椅子(座布団)などを用意して、ひとつに自分で座り、となりの空の椅子には、この感情の原因になっている「自分」を座らせます(イメージ)。

では、これらの過去の状況を踏まえて、わたしに聞いてみましょう。

ーーー今何が起きてる?

「もう何もしたくない。寝たい。何も考えたくない」

ーーー身体はどんな感じ?

「ピクリとも動きたくない」

ーーーじっとしてることでどんなメリットがあるの?

「やり過ごせる」

ーーー何を?

「つらくて、さみしくて、悲しいこと」

ーーーやり過ごせたらどうなるの?

「つらいのから脱出できるような気がする」

まあ、途中ですが。。

わたしの場合、じっとしていることで、「つらい状況から脱出できる」という、幼少期の間違った思い込みがあるみたいです。確かにそうやってやり過ごしてきました。そのため、嫌なことや悲しいことがあると、じっとひきこもって次の日を待つクセがあるみたいです。

ずっと、明日になることが、希望だったみたいです。

でもこのクセは、もう今は手放すときですね。あの頃は、なんとか生きていくためのわたしなりの手段だったとしても。

どんなにがんばっても、認めてもらえない、褒めてもらえない、ダメだと言われる日々は、本当にさみしくてつらかっただろうし(あんまり記憶ない)、今でも自分はダメだなーと思い続けていることが、そもそも間違いで。

そんな感情を持ってたんだな、今ひきこもっちゃうのは、過去のあの時の感情が、今ここにまた出てきてしまっているからなんだな、

がんばったなーわたし。

ということに気づくことが大事。

意味を持たさず、分析せず、ただ、そんな状況がずっとあったんだなーって知ること。気づくだけで、もうあの頃には戻らなくて済むし、今出てくる生きづらさも、過去の感情が影響していたんだなーってわかる。状況を全体像で見ることができるようになってくる(俯瞰できる)。

そして、もうその過去の感情はいらないって、わかる。

そうやって手放していくことが、すごーく大事なのです。

とはいっても、難しいよね ʕ•ᴥ•ʔ ♡

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